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プロペラの色

 投稿者:tg540  投稿日:2020年10月23日(金)10時02分59秒
返信・引用 編集済
  この写真は既出かも・・・、既視感があります。
プロペラの色が、銘板の辺りは小豆色のようですが先端部分が両面とも濃緑色、それとも濃緑色のプロペラがカウリング同様に火災で茶色に焦げたのか?
そもそもカラー写真なのか着色写真なのか定かではありません。
画像はReviの本に載っていたもので数日後に削除します。
 

Re: 343-4※号機 #8

 投稿者:tg540  投稿日:2020年10月16日(金)23時23分35秒
返信・引用 編集済
  閑話休題、343空紫電改の塗装について、追記も含め今までのまとめです。
・新明和から発掘された写真、撃墜マークを付けた紫電改は、黄帯2本のA-48号菅野機と推理。
・戦407、B-03号機の白帯の一部が判別できる写真は、指揮官標識が描かれていない3月初旬前後の撮影なので、写真の白帯は区隊長標識ではないと推定する。

その他細々したことでは
・343空では、機体の不調・損耗が多いため、ほとんどの場合で指揮官も含め各搭乗員の専用機を用意出来なかった。そのため区隊長他指揮官標識の帯を随時記入消去することは難しかったと思われる。
・戦301、A-15号機の黄色の帯は3月下旬から4月上旬に初めて描かれた。それまで他の機体に指揮官標識の帯は描かれていなかった。
・戦301の指揮官標識の帯は1本目から日の丸に被せて描かれていた。(大村の写真)
・戦407のB-30号林隊長機は白縁付き日の丸の後ろに1本の太い白帯が描かれていた。(源田の剣-P.298写真)
・指揮官標識の白帯は、剥がせるように石灰で描かれた。
・343空の撃墜マークは飛行機の姿に1本の矢印。(9月21 日書込参照)
・時期不明ながら、スピナーは飛行隊別に白色か黄色で塗られていた。(市村大尉手記、丸エキストラ#32-P.200)
・戦407のスピナーは、遅くとも5月には白色に塗られていた。(源田の剣-P.398写真)
・戦407は、3月初旬まで胴体日の丸の白縁を塗り潰していた(B03、B20号機写真)。4月以降は白縁付き日の丸に変更されている。(源田の剣-P.298写真)

オマケは紫電の写真です。
米兵が撮影した数枚組のスナップ写真のようで、垂直尾翼に大きく「2」の文字が書かれています。破損した方向舵に続きの数字があるのかどうか判りません。米軍が記入した可能性もありますが、元の機番を消した跡は無さそうです。
 

Re: 343-4※号機 #7

 投稿者:tg540  投稿日:2020年10月 9日(金)10時37分4秒
返信・引用 編集済
  紫電改は、異母弟の烈風と同じく大柄でグラマンに間違われ誤射されることが幾度かありましたが、今回は紫電改が零戦を誤射した話です。
戦史叢書17-P.416に「4月14日神雷部隊桜花隊と爆戦隊を直掩する零戦113機を343空の紫電改が誤射し、攻撃を受けた零戦隊は増槽を捨てたため燃料不足で全機が途中で引き返した」と書かれています(画像参照)。援護の無くなった丸裸の陸攻と爆戦はほぼ全滅します。
この件を源田の剣は、343空の14日出撃は無く叢書は343空紫電隊と601空・210空紫電隊とを取り違えている、としています。ざっとチェックしましたが取り違えが正解です。ちなみに601空紫電隊の編隊長は後に343空に転任してきます。
ともあれ、この記事を基に343空が誤射したと書いた本が複数あり、たぶんそれらを孫引きしたネットの書込みが複数ありといった次第で、フェイクはそのようにして伝わるのだなあと思い知らされました。
 

Re: 343-4※号機 #6

 投稿者:tg540  投稿日:2020年10月 5日(月)10時37分2秒
返信・引用 編集済
  10月2日の書込みで
>>なぜ偽装網が掛かっているのか不思議です。この機体>は写真撮影時に第一線から退きつつあったのかも?
と書きましたが判断を保留します。
大村基地の米軍引き渡し文書に、コンクリートもしくは木製の屋根付き掩体壕が28基とあります(352空は場所違い、大村空は解体)。
4月以降の343空の実動機数は所属搭乗員数の半分にも満たない30機前後が精一杯だったのですから実動機は屋根の下と考えたのですが、5月10日頃は屋根付き掩体壕が3基か5基程度だった可能性が出てきました。屋根が無ければネットが必要です。

オマケはよく知られた映像で、と号作戦機の後方に掩体壕が並んでいます。遠方に紫電改らしき機体も伺えます。それにしても米艦載機の頑丈なこと。

https://m.youtube.com/watch?feature=emb_title&time_continue=11&v=MtWVMig-sHM

 

Re: 343-4※号機 #5

 投稿者:Ta152C  投稿日:2020年10月 3日(土)09時04分35秒
返信・引用 編集済
  tg540さんへのお返事です。

深い考証を読ませて頂きましてありがとうございます。

帯の色ですが、A-15号以外の菅野機とすれば宮崎さん仰るところの"褐色かかるオレンジ色の帯"なのかもしれませんね(^^)。加藤整備分隊士とも一度お話させていただく機会が御座いましたが、オレンジ色の帯に関しては明確に否定をされておられました。純粋な黄色だったと。加藤さんはその機体の整備にはノータッチだったのかも知れません。また、前にも書きました大井さんの記憶されている20個くらい撃墜マークが入った菅野機の帯はレモンイエローのような鮮やかな黄色で間違いありません との事でした。左舷の記憶だそうです。宮崎さんと戦友会でご同席させていただいた際、菅野機のご記憶をお伺いしたところ、傍らに置いてあった灰皿を指さされ、「黄色??いやいや、こんな色の帯してたで!」と仰られたのでした。まさしく褐色かかるオレンジ色の灰皿でした。私の推測ですが暗緑色の上にオレンジ色を乗せると多分に下地の色の影響で褐色かかって見えたのではないかと思っています。今更ながら、上空でのご記憶でいらしたのか地上での目撃の記憶でいらしたのか、詳しくお伺いしておけば良かったと後悔しきりです。(-_-;)
 

(無題)

 投稿者:年寄  投稿日:2020年10月 3日(土)08時54分4秒
返信・引用
  零戦だけにしませんか、写真だ戦果報告だといわれても、何年前の話をぶり返しても、読みづらいだけです。  

Re: 343-4※号機 #5

 投稿者:tg540  投稿日:2020年10月 2日(金)21時52分36秒
返信・引用
  #4の続きです。
航フ5月号・世傑No.196掲載の写真の件です。
写真は偽装網で覆われた機体で、日章の辺りに枝木があったりして見たい部分が見えません。そこで見えない部分を可視化しようと思います。
まず日の丸です。撮影角度のためか、白縁が規程より幅広のように感じます。ザックリとスケールを当てると白縁75mm換算で白縁外で直径約1,000mmです。
次に、日の丸の中に機番号が白色で書き込まれているように見えます。日章の中の数字の位置は、A-15号機のように尾翼側に寄った左上です。この数字は非常に判り易く「4」で間違いないでしょう。写真で4の斜め線と水平線左端部が確認できます。なお同じ斜め線を持つ「2」は数字の位置からあり得ません。
その次に、日の丸の左上から右下にかけて巻かれている帯のことです。その帯の横の日の丸中央にもう1本の帯が垂直方向に巻かれているように見えます。どちらも日の丸の中で機体から浮き上がって影ができていること、胴体最上部で機体から盛り上がっていることから布製帯と判ります。アンテナ線に掛けてある偽装網の端部を引っ張っているように見えます。ただ正直なところ、偽装網のために帯が何本も必要な理由が判りません。もっと云えば、なぜ偽装網が掛かっているのか不思議です。この機体は写真撮影時に第一線から退きつつあったのかも?です。
続いて、日の丸中央を右上から左下に平行して流れる2本の帯です。先の布製帯と日の丸中央でX字に交差しています。塗装か布か、喧喧と姦しい帯ですが、ここでは塗装説を採ります。
布を機体に斜めに掛ければ最上部で必ず浮き上がる筈が2本共に機体から浮き上がらずに張り付いていること、帯の下端が日の丸白縁手前で擦れて終わっているように見えることが理由です。
帯の色は、白色でも赤色でもない黄色でしょう。
最後に、日の丸の前後です。指揮官標識の帯が描かれていません。B-29撃墜破の戦果を挙げるのは1番機、すなわち区隊長以上の指揮官機が可能性が高いのですが、その標識帯が見当たりません。
まとめると、日の丸の中の尾翼寄りに4で始まる機番号が書かれていて、数字の上から黄色の斜め帯2本が引かれていることになります。
なぜ日の丸の上に指揮官標識の帯を描いたのかは不明です。撃墜マークを避けたというのは理由にならないでしょう。
この間、写真の機体を特定しようとしてきた分ですが、撮影時期から4-5月のB-29邀撃戦出撃機、かつ戦績からB-29撃墜破3機の戦果を挙げた可能性のあるA-48号機かC-53号機のいずれか、とまで絞り込んできました。
それに加えて4で始まる機番号を条件に重ねれば、写真の機体は戦301の48号機、菅野機である可能性が最も高い、となるのです。
日の丸の中に機番「48」を書込み、その上に2本の黄色い斜め帯を引いた機体、それが3機のB-29撃墜マークを描いた機体の姿だと思います。
(この話の一番苦しい所は48の8の字のカケラを写真の中で見つけられていないことです。)
(#6に続く)
 

Re: 風防

 投稿者:ケンジ  投稿日:2020年10月 1日(木)22時16分28秒
返信・引用
  > No.10264[元記事へ]

えぬ氏もわるよのぉさんへのお返事です。

ここまで太くなっていません(^^;
この遮風板、こうやってみると結構オリジナルと違いますね。形も微妙に違います。
 

Re: 風防

 投稿者:えぬ氏もわるよのぉ  投稿日:2020年 9月30日(水)08時02分56秒
返信・引用
  > No.10257[元記事へ]

ケンジさんへのお返事です。

> > 遮風板の後端の枠を太くして、移動風防がその下に潜り込むようになっています。
>
> おお~、これは昭和20年春くらいからの末期タイプです。(^^

フライング・ヘリテージ・コレクションの複座22型(UI-161)は、移動風防の開閉装置の外側のツマミと干渉しないよう、遮風板後端に切り欠きを作ってますが、オリジナルにもそういう工夫をしたのって、ありましたっけ?
どうもこの機体は、全体にすべての枠をオリジナルより太めにしている気がします。
 

Re: 343-4※号機 #4

 投稿者:tg540  投稿日:2020年 9月29日(火)09時27分46秒
返信・引用
  #3の続きです。
参考までに、戦史叢書19付表2から九州方面のB-29空襲分を抜き出したものです。
4月16日B-29+戦闘機,100機,戦果不明,
4月17日B-29,80機,戦果不明,
4月18日無し
4月19日無し
4月20日無し
4月21日B-29,200機,撃墜1,撃破2,
4月22日B-29+艦載機,120+30機,撃破2,
4月23日無し
4月24日無し
4月25 日無し
4月26日B-29,100機,撃破3(4/27と合わせて)
4月27日B-29,140機,同上
4月28日B-29,130機,撃墜4(4/29と合わせて)
4月29日B-29,100機,同上
4月30日無し
5月1日無し
5月2日無し
5月3日B-29,80機,撃墜2,撃破7,
5月4日B-29,大分30,大村20,撃墜2,撃破1,
5月5日B-29大分28,鹿児島38,戦果不明
5月6日無し
5月7日B-29,60機,撃墜4,撃破7,
5月8日B-29,30機,戦果不明
5月9日無し
5月10日B-29,呉・松山方面
5月11日B-29,20機,戦果不明
以上には他の陸海軍戦闘機隊の戦果も含まれています。叢書刊行が古く、また例えば4月21日のように戦時日誌と戦果が食い違っている等、他の資料との整合も取れていませんが日本側記録として参考になります。米側記録との付き合わせはしていません。

さて、戦績一覧から3機のB-29撃墜マークを付けることの出来る機体を探します。先日、「マークは撃破でなく撃墜を示す」と書き込みましたが、戦果の範囲を「撃破」まで広げます。
リストから3機撃墜破の可能性があるのは、基地まで無事に帰投できた戦301菅野機と戦701のC-53田中・指宿機の2機だけです。5月8日、11日の戦407の戦果は保留します。
*戦301菅野機
菅野機は、4月21日は11号機で戦果を上げています。機体が損傷したのか翌22日は48号機に乗り換えているので、21日の戦果は48号機に記入されることになります。
また4月21日・29日(未確定)の2機分は良しとして、戦果の3機目が、5月7日の堀機が止めを刺したB-29を協同撃墜としているのか、もしくは5月8日11日頃の戦果不明の内の1機なのか判りません。
問題が1点、B-29迎撃戦の最中、5月4日に喜界島で艦載機との空戦があり13機撃墜と報告されています。菅野隊は多数の戦果が有ったと云われ、戦701は戦果不明のようです。件の機体、343-4*機が菅野機ならF6Fの撃墜マークが書き加えられた筈、となるのです。ただし撃墜破マークは各機体ごとに書き込まれるので、5月4日は別の機体に搭乗していたとすれば、F6F未記入もあり得ます。
なお、B-29迎撃戦終了後の5月16日には15号機で出撃していますが、この機体は4月上旬の21型ではなく、「15号機還納後に同じ機番で納入された21型甲」に代わっていると考えています。
いろいろのツジツマの合わない所があるのです。
*戦701の53号機
4月21日は田中上飛曹が松山から空輸中に交戦して1機撃破、22日は指宿飛曹長が1機撃破、5月5日に1機撃墜の記録(機番不明)があります。撃墜ではなく撃破2機が含まれています。
またC-53の機番を持つ紫電改は、5月15日には長機ではなく2番機で出撃しています。時期的に4月21日に空輸された機体と同一機と思われます。
*戦407
先に記したように、5月8-11日に戦407が多くの戦果を挙げた、という手記があります。ただ2日間で同じ機体が3機のB-29を屠るのは非常に難しいのでマークの対象機から除外します。

まとめると、あちこちツジツマの合わない所は多々あることを承知の上で、3機の撃墜マークを付けた機体は、第1候補が戦301菅野機、第2候補が戦701田中・指宿機だと思うのです。
続いて新明和の写真から機体の塗装を推定します。
(続く)
 

Re: 風防

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2020年 9月27日(日)04時21分33秒
返信・引用
  > No.10261[元記事へ]

ケンジさん、どうぞどうぞ(*'▽')
 

Re: 風防

 投稿者:ケンジ  投稿日:2020年 9月26日(土)23時39分30秒
返信・引用
  > No.10260[元記事へ]

A6M232さんへのお返事です。

正面ガラスの寸法、測りたい・・・
 

風防

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2020年 9月26日(土)15時20分34秒
返信・引用
  風防枠作りたい・・・  

Re: 風防

 投稿者:tg540  投稿日:2020年 9月26日(土)11時51分57秒
返信・引用 編集済
  ケンジさんへのお返事です。

ありがとうございます。よくわかりました。
風防ガラスの納まりはお国柄と機種で様々で、枠とガラス面を面一にしたいという気持ちはわかります。でも縁を薄くしてから焼きを入れるなんて歩留まりを心配します。それができるなら、曲面部分も樹脂ではなく強化ガラスを曲げ加工する方がよっぽど簡単だと思うのですが、防弾を配慮したのでしょうか?
 

Re: 風防

 投稿者:ケンジ  投稿日:2020年 9月26日(土)10時32分10秒
返信・引用
  > No.10256[元記事へ]

tg540さんへのお返事です。

平面部分が強化ガラスで曲面部分がプレキシガラスが基本で、これは最初から最後まで共通です。
縁部分の段差は、強化ガラス、プレキシガラスの両方にあるのですが、この段差が昭和19年末から無くなります。
このためガラスがフレームと面一では、なくなります。
 

Re: 風防

 投稿者:ケンジ  投稿日:2020年 9月26日(土)10時29分7秒
返信・引用
  > No.10255[元記事へ]

えぬ氏もわるよのぉさんへのお返事です。


> 遮風板の後端の枠を太くして、移動風防がその下に潜り込むようになっています。

おお~、これは昭和20年春くらいからの末期タイプです。(^^
 

Re: 風防

 投稿者:tg540  投稿日:2020年 9月26日(土)07時16分41秒
返信・引用
  情熱零戦の記事ですが、風防ガラスは、
最初は樹脂製で、風防枠と枠板厚分の段差がある。
次が強化ガラス製で、端部を板厚分薄くして風防枠とガラス面が同面の納まり。
最後が強化ガラス製で、端部加工が無くなって風防枠とガラス面に枠板厚分の段差がある。
以上で間違っていないでしょうか?


 

風防

 投稿者:えぬ氏もわるよのぉ  投稿日:2020年 9月25日(金)13時49分19秒
返信・引用
  『丸』最新号の「情熱零戦」のテーマは風防でした。

61-120の風防は、以前は移動風防が閉まりきらずに遮風板との間に隙間が空いていることがよくありました。
コックピットに設置したカメラで、パイロットがこの隙間を気にしてか移動風防を何度も押す動画もありました。
でも最近の再整備で、今は改善したようです。

ロシア製22型の風防は、1号機(X-133)はオリジナルに近いですが、2号機、3号機は、同じように隙間が空いてしまうのを懸念してか、遮風板の後端の枠を太くして、移動風防がその下に潜り込むようになっています。
それと、UI-161は、風防の枠が全体にオリジナルより太いような気がします。
 

Re: 343-4※号機 #3

 投稿者:tg540  投稿日:2020年 9月24日(木)00時02分5秒
返信・引用
  4月18日から5月11日まで続いたB-29邀撃戦の戦績を下記にまとめてみました。

4月21日(戦時日誌記録)
 1機撃墜:301菅野A-11
 1機撃墜:407林  B-30不時着
 1機撃破:701田中C-53
 1機撃破:701大村C-49
4月22日(戦時日誌記録)
 1機撃破:701指宿C-53
 (この日は菅野A-48)
4月29日
 1機撃破:301鹿野落下傘降下(隊誌手記P.63)
 1機撃墜:301菅野(推定)
5月3日
 飛行艇会敵せず
5月4日
 36機出撃、艦載機13機撃墜。
5月5日
 1機撃墜:407粕谷衝突
 1機撃墜:701指宿?
5月7日
 1機撃墜:301堀
 1機撃墜:701杉田体当たり
5月8日
 1機撃墜:??、407(隊誌P.74手記)
 1機撃墜:??、??(同上)
5月9日
 飛行艇会敵せず
5月11日
 1機撃墜:??、407(隊誌P.74手記)
 1機撃墜:??、407(同上)
 7機撃墜:??、??(同上)
 飛行艇1機撃破:301松村A-52(戦時日誌)

以上の出典は、戦時日誌・三四三空隊誌・源田の剣・戦史叢書19巻で、他の戦史叢書との付き合わせは暇ができてからになります。
さて、三四三空隊誌所載の志賀飛行長の記録には、4月18-25日の国分基地でB-29を3機撃墜、5月4-11日の大村基地で9機撃墜とあります。それなら4月23-25日で1機撃墜しているはずですが詳細不明です。同じく5月の9機撃墜の内でおそらく8-11日に撃墜した筈の5機分も状況が判りません。5月8日と11日のB-29迎撃戦に関しては、同誌74ページの搭乗員手記以外の記録が見当たらないのです。
ともあれ、343空は4月18日から5月11日の間でB-29を12機撃墜したと記録に残しています。
なお一覧には判りやすいように個人名を記しましたが、例えば戦時日誌戦果報告から個人名が特定されても、その実態はほとんどのケースで隊の協同撃墜破です。
(続く)
 

Re: 343-4※号機 #2

 投稿者:Ta152C  投稿日:2020年 9月23日(水)07時02分36秒
返信・引用
  > No.10252[元記事へ]

tg540さんへのお返事です。

興味深くブログを拝見いたしました。m(__)m 301飛行隊の白色、701飛行隊の黄色というのは撃墜マークの色の証言でしょうか?帯の色に関する証言でしょうか?やはり証言する方によって様々なご記憶が存在するのですね。今後も慎重に注視していたいテーマです。C-45号の帯の位置も驚きでしたm(__)m。

連休は鹿児島県阿久根の林少佐の慰霊碑を訪ねて参りました。先日の台風の影響が心配されましたが、慰霊碑自体の被害は無く安心いたしました。まだ周囲ではセミの声が聞かれ、蝶も舞う晴れた一日でしたが相当な風が吹いたと見られ、敷地の中に木が倒れ込んでいました(-_-;)。お参りさせていただいた後、すぐ脇の海岸に降りてみますと、とても綺麗な砂浜と海の色に魅せられました。ウミガメの保護区となっているそうで遊泳は禁止されていました。大戦中もきっとこのような風景だったのでしょう。来年の夏あたりになんとか潜って林機を観察してみたいものだと思いました
 

Re: 343-4※号機 #2

 投稿者:tg540  投稿日:2020年 9月21日(月)11時18分16秒
返信・引用
  航フ5月号・世傑196号の写真のマークについて、先に撃破マークと書きましたが撃墜マークに訂正します。矢印1本なので撃破だと思い込んでいたのですが、もし撃墜マークならもう1本の矢印はどこに記入するのか?と考えると、撃破でなく撃墜マークとするのが妥当と判断しました。
12年前の古いブログ(下記のURL)に掲載された手紙に343空の撃墜マークのスケッチが描かれています。
このスケッチからも、矢印1本が撃墜マークだと裏付けられます。
343空の整備に絵心のある方がいらっしゃったようです。件の撃墜マークのB-29を30度傾けたり、A-15号機の2本の帯の裾を末広がりに少し広げているのは、どこかで学ばれた成果かも知れません。
(続く)

https://plaza.rakuten.co.jp/satsukiyamazakur/diary/200804140003/

 

Re: 343-4※号機

 投稿者:Ta152C  投稿日:2020年 9月18日(金)01時05分43秒
返信・引用 編集済
  tg540さんへのお返事です。


こんばんは。空中分解事故は碇義朗さんの著書に詳しく書いてありますが私のような素人には"フィレット部のみの気流が音速を超える"という状況がどんなものか想像も付きません(-_-;)菅野大尉もいかに危険と隣り合わせでB-29に立ち向かっていたのかと思うと、本当に勇敢な方だったのだと思います。撃墜マークに関しましてはS301とS701では色の違いが一つのヒントになるかと思います。S701菊池整備隊長、井手上整備員お二人のお話ですとS701では鴛淵機をはじめ白で撃墜マークを入れていた とお伺いしております。白黒写真からの黄色と白の判別も困難ですがオリジナル写真を是非見てみたいものですね。左舷もどうなっていたのか、世傑の機体は今後も注視していたい一機です。
 

Re: 32型の評価

 投稿者:ケンジ  投稿日:2020年 9月17日(木)22時22分20秒
返信・引用
  > No.10245[元記事へ]

> 52型は、翼端失速の傾向は32型と違っていたのでしょうか。
> フラップを増積しているで、それが着陸時の安定につながっていた?

渡辺洋二氏が書いた岩井勉氏のコメント以外に三二型のふらつきを書いたものがないので分からないのです。
三二型がふらついたとしても、実際に空母でも使われていたので、大きな問題ではなかったのだろうと思います。
 

343-4※号機

 投稿者:tg540  投稿日:2020年 9月16日(水)20時29分40秒
返信・引用
  烈風の異母兄の紫電改、航空ファン5月号にB-29の撃破マークを描いた写真が裏焼きで掲載され、その後世界の傑作機No.196に1ページ大で再掲されました。
この4*号機、写真を見ると戦301隊長機か戦701田中機のようなのですが・・・・・、撮影時期、戦績、塗装から検討します。
最初に撮影時期を写真の出自と撃破マークから推定します。
写真が新明和社内に保管されていたことから、撮影者は旧川西の社員と思われます。川西関係者が九州まで出張するような事態と云えば、おそらく紫電改の空中分解事故です。
3月に戦407堀区隊で訓練中に最初の空中分解事故が起き、その後も類似事故が続きます。さらに5月7日、戦301堀区隊仲機がB-29迎撃戦中に空中分解します。搭乗員は無事に落下傘降下でき、事故当時の状況が初めて聞き取りできました。この時、川西関係者が大村まで駆け付けたはずで、写真はその出張時、5月10日前後に撮影されたと思われます。
ちなみに事故原因は不明ですが、破損部位は胴体後部と特定され基地で補強作業をすることになりました。作業は、基地に可憐な女学生の一団がやってきて胴体日の丸辺りに縦通材をポンポンと追加したそうです。
現地作業で円框への新しい縦通材取り付けは無理なので、女学生が狭い胴体に潜り込んでどんな補強をしたのか?、アメリカに残る製造番号5128の機内写真を見ると、日の丸辺りから座席後部までの胴体下部の縦通材間を縦胴縁で繋いでいました。事故後に製造されたと思われる製造番号5312、5341の機内外写真も同様の補強方法でした。
次に機体に描かれた撃破マークから撮影時期を考えてみます。マークの形状はB-29ですが、B-29以外の単発機の撃破マークが見当たりません。343空の戦果は時期により異なり、4月中旬までは艦載機、4月下旬5月上旬はB-29(5/4は艦載機)、5月上旬から飛行艇・哨戒機・単発機、6月以降は単発機・B-24とかなり明確に区別できます。この内マークと同じ4発機は、B-29・B-24・単尾翼のB-24海軍型で、343空に大きな損害を与えたPBY飛行艇は双発です。
隊の戦果と併せ見れば、艦載機との交戦がほとんど無かった4月下旬から5月上旬のB-29迎撃時の戦果として撃破マークが描き込まれたとしたいところですが、単発機の戦果が描かれていないのが困りどころです。この機体では会敵の機会が無かったのか、描かなかったのか・・・・・。
とはいえ、前述の事故調査の件とマークはB-29のみと云う点を重ね合わせると、写真撮影日は5月10日頃として間違いない、としておきます。
(続く)
 

扉開放動画

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2020年 9月14日(月)23時35分4秒
返信・引用
  https://youtu.be/5W5k9eNy9cM  

遊就館

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2020年 9月14日(月)00時05分53秒
返信・引用
  硝子扉開放でした(^-^)  

零戦前ガラス扉解放のお知らせ

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2020年 9月13日(日)00時00分12秒
返信・引用
  https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/news_detail.html?id=274  

32型の評価

 投稿者:えぬ氏もわるよのぉ  投稿日:2020年 9月10日(木)19時48分4秒
返信・引用
  第6期予科練の岩井勉氏は、32型は着陸時に翼端失速でふらつくので嫌いだったと証言されています(一方で、横方向の切り返しが早いので32型を好むパイロットも多くいたようですが)。

岩井勉氏は、52型は速度と運動性の調和がとれているので好きだったと証言されています。
52型は、翼端失速の傾向は32型と違っていたのでしょうか。
フラップを増積しているで、それが着陸時の安定につながっていた?
 

Re: 零戦32型

 投稿者:tg540  投稿日:2020年 9月 8日(火)00時41分21秒
返信・引用 編集済
  > No.10226[元記事へ]

今月号の丸誌や航空ファン誌に復元中の千歳空塗装の零戦32型がカラーで紹介されています。機体の色は故ランズデール氏が主張してきた金属は飴色、羽布は灰色のツートーン塗装です。丸の表紙も含め食傷気味な飴色ですが、カラー写真で見る水戦強風の下面も飴色でした。フィルムの特性で黄味が出るのか、就役2年で飴色に褪色していたのかは判りませんが。
最近、スミソニアン航空宇宙博物館が所蔵写真をflickrにアップし始めています。見るとドーリットル爆撃隊の写真7枚、ホーネット発艦時に哨戒のためなのか飛行船を係留していたのは知りませんでした。
少し前にはWW2のカラー写真50枚を一挙にUPしています。ほとんどは米軍機、しかも人物の様子から宣伝写真が多いと思われますがそのおかげで細部までクリアーに写っています。先の強風他の写真はその中の1枚ですが、痛々しい写真です。
これらの写真は博物館でも発売されていて、かなり昔にレーザーディスク版を購入しましたが、プレーヤーも既に処分済で未開封のまま段ボール箱の中に埋もれています。
現在、スミソニアンは展示品を3Dでネット公開しようと準備中ですが、展示品よりも倉庫の収蔵品を3Dで公開してほしいものです。
添付の画像は、その倉庫に分解されて保管されている天雷1号機が陸揚げされた頃のスナップ写真で日の丸横の18の数字の意味は不明で、方向舵は修復されてシーブルーに塗られています。
天雷は、3,6号機が追浜から運ばれたと記録されていますが、なぜか米国での写真は1号機ばかり、追浜に3,6号機以外に1号機も密やかに並んでいたのは数年前にSummerさんが検証済みです。
 

Re: 大村の紫電改

 投稿者:Ta152C  投稿日:2020年 9月 6日(日)04時03分35秒
返信・引用
  Summer様
号数をお教えいただきありがとうございました。切り抜きも掲載号をメモしておく必要を感じましたm(__)m

tg540様
そのような事情があったのですね。
アメリカの公文書館は紫電改の写真を観に、いつか行ってみたいな と思っています。
件の写真の機体は魅力的で日章の中の数字の跡が30番台、尾翼の末尾の数字が"6"の様に感じられます。(拭い去られた跡なので何とも言えませんが)残っている戦闘詳報ではA-36号は欠番、B-36号とすれは伊奈上飛曹、青柳上飛曹が搭乗、C-36号ならば山田大尉の搭乗記録が残っています。数字が不明瞭なので80番台の機体の可能性も捨てきれません。撃墜マークを描いたのは"各長機に代表して戦果を描いた"との整備の方の証言がありますので帯と共に長機であったことが確認できる貴重な一枚ですね。大村のハンガー内にロケット弾架でも転がっていないかとレンズ片手に一生懸命眺めておりますm(__)m
 

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